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【動画】加藤豪将 ヤンキースにドラフト指名された日本人
おはようございます(^_-)-☆

海外で活躍する日本人にスポットライトを当てたこのコーナー

今回は、まだ活躍しているとはいえませんが、将来的に必ず活躍してくれるであろう

日本人ベースボールプレーヤー、加藤豪将を紹介します。



6月上旬に行われたメジャーリーグのドラフト会議で、

カリフォルニア州サンディエゴ在住の高校3年生・加藤豪将内野手がヤンキースに指名され、

一気に脚光を浴びました。日本人選手がメジャーのドラフトに指名されたことは過去にもありましたが、

2巡目、全体の66番目という高順位で指名を受けたのはかつてなかったことです。

日本人史上最高順位の指名というだけでなく今年のメジャーリーグドラフトで

全二塁手の中で最高順位の指名で、守備力はすでにメジャーレベルであると評する専門家もいます。

しかも人気ナンバーワン球団であるヤンキースからの指名とあって、たちまち時の人となりました。


加藤は米カリフォルニア州で日本人の両親の間に生まれました。

3歳で家族と一緒に日本に戻りましたがが、2~3年で再びカリフォルニア州に戻り

それからは現在に至るまで米国暮らしです。

小学生時代からアメリカの学校に通い、家庭の中では「日本」、

一歩外に出ると「アメリカ」という使い分けをしながら、バイリンガルとして育ったようです。


ドラフト会議から13日後の6月19日に正式にヤンキースと契約、

同21日には早くもルーキーリーグの試合が始まり、すでにその一歩を踏み出しています。

それにしてもドラフトから約2週間後にもうリーグが始まるとは、さすがアメリカですね。





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[2013/07/02 10:49] | 海外活躍する日本人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ブロードウェイプローデューサー 吉井久美子
海外で活躍する日本人にスポットライトを当てたコーナー
第2回目は
ブロードウェイプロデューサー 吉井久美子さんの
インタビューの内容を紹介します。


吉井久美子

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
1987年ニューヨーク市立大学に留学。
卒業後、法律事務所でパラリーガル職、
投資銀行のM&A金融アナリストなどを経て、
97年にゴージャス・エンターテインメントを設立。
現在、ブロードウェイプロデューサー、
映画や特別イベントのプロデュースなど、多分野を手がける。
また、宮本亜門や蜷川幸雄演出の日本作品の米国招聘、
日本企業によるミュージカル投資や招聘・
ライセンス案件のコンサルテーションも手掛ける
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


■やっと見つけた仕事だから絶対に手放したくない

アメリカに初めて来たのは、高校の交換留学でした。
帰国後は、テンプル大学日本校に入学しましたが、
せっかくアメリカの大学の日本校に入ったのだから、
やっぱりアメリカで卒業しようと決心しました。
選んだ留学先は、ニューヨーク。昔からミュージカルが好きだったからです。
実は高校卒業後、母と一緒にニューヨークに来て、
初めてブロードウェイミュージカルを見たのです
。その時は、将来はブロードウェイで仕事がしたいなんて野心は、
これっぽっちも持っていなかったのですけれど。

大学卒業後も、エンターテインメントの仕事をすることはまったく考えていませんでした。
というより、そんな仕事に就けるなんて思ってもみなかった。
卒業後、法律事務所に就職してパラリーガルの仕事をしたのですが、
これも「実社会で経験を積んだ方が、日本で就職する時に有利かも」という、
単純な考えからなんです(笑)。
その後、M&Aのアナリストにならないかというお話をいただいて、
金融業界でしばらく仕事をしました。
それまでウォール・ストリートに対する関心はまったくなかったのですが、
そういう世界を垣間見るのもいいかなと思って。
そうしたら、会社のオーナーの妹がブロードウェイの脚本家で、
会社もアートやエンターテインメントとの関わりが深く、
ブロードウェイに投資したなんて話が、ミーティングで度々出てくるわけです。
それまでミュージカルは趣味で見ていたのですが、ここで初めて、
ウォール・ストリートとミュージカルが
お金を接点につながっていることに気が付いたのです。
ミュージカルをどうしたら仕事にできるのか、
それまでは見当も付かなかったけれど、ビジネスの側面からなら私にも何かできるかもしれない。
ブロードウェイで仕事がしたいと、この頃から真剣に考えるようになりました。


■無駄な時間もすべてが貴重な体験

でも、コネもなければ、業界で働いている知り合いもいない。
ガイドラインはまったくないわけです。
それでとりあえず、「ブロードウェイで仕事がしたい」って人に言いまくったんです。
大抵の人には、「へえ、そう」とか、「グッド・ラック」って軽くあしらわれただけでした。
でも、しつこく言い続けていると、「私の弟の知り合いが脚本家してるわよ」とか、
「お隣の親戚がプロダクションに勤めている人だって聞いたことがある」とか、
情報をくれる人が出てくるわけです。そういう話を聞いた時は、すぐに会いに行きました。
1年ぐらいそういう状態を続けたでしょうか。小さなプロダクションを立ち上げる、
という人と知り合うチャンスに恵まれ、
アシスタントをやらせていただけることになったのです。

と言ってもブロードウェイではまったくの素人ですから、
電話番やコピー取りなど、アシスタント業務ばかり。
しかも、フルタイムで雇うお金はないというので、週に2~3日のアルバイト雇用でした。
それでは食べていけないので、
M&A専門誌の仕事や経営コンサルタントのマーケティング等の仕事とかけ持ちで頑張りました。

その後、きちんとエンターテインメントの勉強をした方がいいと思い、
ニューヨーク市立大学大学院のパフォーミングアーツ・マネジメントの修士課程に入学。
仕事を2つかけ持ちながら、夜大学院に行く生活が続きました。
この時はさすがにつらかったですね。修士取得に6年もかかってしまいました。

フリーランスで映画を1本プロデュースした後、
1997年にプロダクションを立ち上げました。
大学で演劇を専攻し、そのまま業界に入る人も多いのでしょうが、
私の場合は行き当たりばったり。無駄な時間もいっぱい過ごしてきました。
でも、色々な仕事をした経験が今、役に立っているんですね。


■「ノー」と言われた時が私の真価が問われる時

この仕事で1番重要なのはコミュニケーションだと思います。
ミュージカルの中心にあるクリエイティブな部分を、
いかに投資家などに「翻訳」できるかが勝負です。
相手の立場や経験、志向を把握して、どうすれば伝わるか考える。
相手に「ノー」と言われた時に、プロデューサーの真価は問われると思うのです。
「ノー」と言った人にどうやって「イエス」と言わせるか。
ブロードウェイというと華やかな世界のようですが、
日々の仕事は交渉事や書類のやり取りばかり。
でも、そこに面白さがあるし、私は「アート」を感じています。

仕事は確かに大変ですが、苦労だと思ったことはありません。
やりたいことをやっているわけですから。一生この仕事を続けて行きたいし、
生まれ変わっても、まったく同じ道を歩くと思います。
やりたい仕事に出会えた、というのは幸せなことですよね。
私にはこれしかない。代替案、プランBはないんです。
紆余曲折の末、やっと見つけたものだから、絶対に手放したくないのです。


■周りは壁だらけでも必ず抜け道はある

アジア人女性がこの業界で仕事をするのは、確かに大変です。
でも私は、これをマイナスだと考えるんじゃなくて、ポジティブに捉えるようにしています。
例えば、珍しいから差別されることもありますが、1度会ったら覚えてもらえる。
壁にだって何度もぶつかります。と言うより、周りじゅう壁だらけ(笑)。
でも、360度ぎっしり壁に囲まれているわけじゃない。
辛抱強く探せば、抜け道は必ず見つかります。

次の目標は、ロンドンのウエストエンドでミュージカルを上演すること。
ブロードウェイと並ぶ重要な拠点なので、
近い将来進出したいと考えて、今準備を進めています。
そしてこれからも、優れた作品をたくさん世に出していきたい。
日本でも、ミュージカルをたくさん上演できればと思っています。


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[2013/07/01 10:09] | 海外活躍する日本人 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
世界にはばたくバレエ界の逸星~中村祥子~
今回から新企画

海外で活躍している、または活躍実績のある日本人の紹介をしていきます。

第1回は、佐賀県出身のバレリーナ、中村祥子さんです。

1980年1月20日生まれ
6歳よりバレエを始め、96年にローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞、
同年シュトゥットガルトのジョン・クランコ・バレエ学校に留学。
98年、シュトゥットガルト州立劇場バレエ団に入団するも、
練習中にじん帯断裂の大けがをし退団。

リハビリ生活を余儀なくされるが、2000年、ウィーン国立歌劇場バレエ団に入団。
02年同バレエ団ソリストに昇格。
06年ベルリン州立バレエ団へソリストとして移籍。
07年、同バレエ団プリンシパルに昇格。
近年は、 熊川哲也が主宰するKバレエカンパニーの夏公演にたびたび客演
(ゲスト・プリンシパル、名義は「SHOKO」)している。

中村祥子


■16歳でシュトゥットガルトへ

中村が初めてドイツの地を踏んだのは、16歳のとき。

1996年にローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞し、
シュトゥットガルトのジョン・クランコ・バレエ学校に留学したのがきっかけだ。

「バレエをやるつらさよりも、ホームシックで毎日泣いていましたね。
でもほかの留学生も、スペイン人とかアメリカ人とか外国人ばかり。
同じようにホームシックにかかっていたんです。バレエの場合、
同じ目標を持ってやっているので、伝えたいという気持ちがあれば通じ合えるんです。
3カ月ほどすると、みんなとも仲良くなってドイツで生活するのが楽しくなってきました」

98年には順調にシュトゥットガルト州立劇場バレエ団へ入団。
しかし練習中にじん帯断裂の大けがに見舞われ、日本への帰国を余儀なくされた。


■日本人にしかできない“白鳥”もある

古典作品からモダンまで幅広いレパートリーをこなす中村だが、思い入れがある役柄といえば、
『白鳥の湖』の「オデット/オディール」だろう。
これは2003年にウィーン国立歌劇場バレエ団時代に抜擢されたデビュー作で、
ウィーンのバレエ団史上、日本人が同作品に主演するのは初めてのことだった。

「初めて全幕を踊った作品で、苦労しました。ダンサーはいつも鏡を見て練習するんですが、
自分がアジア人だからどうしても西洋人と比べてしまって踊る意欲がわいてこないんです。
振りは入っていても、白鳥になりきれていなくて、本番前日まで悩んでいました。
それが本番になって音楽が始まると、すっと入り込めたんです。
日本人らしい繊細さが白鳥に合っていたと言われて、
そういう解釈もあるんだ、日本人にしかできない白鳥もあるのかと気づかされました。


■街散策でエネルギー補充

「いろんなことを見てエネルギーを吸収しないと、リハーサルのときに使い切ってしまいますから。
そんなときには、空や季節の移り変わり、風、草木、人を感じに街に出るんです。
カフェに入って人間観察をしてみる。
人の表情、動きだけでいろんなことが得られます。
そうして自分の心を満たすことで、次の舞台へのエネルギーを貯められるんです。
散歩の途中で花や建物を見てきれいと思う。それを素直に言葉にするようになりましたね」

海外で生きることで、育まれ完成されていく中村の舞踊の世界から、目が離せません。


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